春日部の歴史と押絵羽子板  
  春日部の名産品として名高い押絵羽子板。 戦後にかけて、浅草の押絵師たちが戦禍と雑踏から逃れ、良質の桐の産地であった春日部に移り住んだことに始まります。  「押絵羽子板」とは、桐で出来た羽子板に押絵で装飾を施したものです。押絵とは、厚紙に羽二重の布をかぶせ、中に綿を入れてふくらませてくるむ技術で、押絵師(職人)は、綿の入れ具合やくるむ方向、布の使い方などによって、歌舞伎役者が見えを切ったときの表情や仕草などを躍動的に描きます。
 文化として愛され続ける押絵羽子板
  羽根突きは、かつて女の子の遊びとして、お正月によく見られましたが、古くは正月の祭事に関わりのあるものでした。古くは、羽子板を胡鬼板・胡鬼子とも呼び、鬼を突くことで、新しい年の無病息災を願ったものでした。江戸時代以降は、女性の遊戯として定着。羽根突きは、2人以上でひとつの羽を突く方法を「追い羽子」、一人で突くのを「揚げ羽子」と呼び、羽根突きで負けると、顔に墨を塗られるのが暗黙の約束です。ドント焼きの燃え残りの墨は、災難除けとして顔に塗ると風邪をひかないなどといわれ、羽根突きの墨塗りもそうした意味をもっていたようです。
 羽子板は、時代の流れとともに、信仰の具から遊びの具、飾りの具として様々な進化をしてきました。押絵羽子板は、次第に立体的にそして様々な技巧を凝らしたものが作られるようになり、限られた小さな空間に、一瞬の動きをとらえた独自の美の世界を生み出しました。明治時代中期にその全盛を迎えた押絵羽子板の技術は、団・菊・左を頂点とする明治歌舞伎の全盛期とほぼ軸を一にしての展開しました。そして、現在は豪華な装飾を施した「振袖」といわれる羽子板のデザインも実は春日部で生まれています。
 
 1本1本手造りの芸術品
  春日部の押絵羽子板は、すべてが手づくり。全部で50〜70もの材料を組み合わせおよそ200もの工程をかけて一枚の押絵羽子板として仕上げられます。男物は不景気をはねのける縁起物として、女物は祝い物として飾られています。
  また、最近では、テレビドラマの主人公やマンガのヒーローなどを押絵にした「変わり羽子板」というのも作られPRに一役かっています。
 
 
   
 
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